2013年5月31日金曜日
HAKOBUNE 【エピソード2】 船出。
うちまた少年はそのうち、裏打ちを目立たせた4つ打ちのダンスビートや、図太いギターリフとかを取り入れるようになり、フクシマくんの提案で「THE BENDS」という名前に変えることになった。
名前は、Radioheadの2ndアルバムから拝借した。
そして、フクシマくんの高校の同期であるモリモトくんがエレキギターで加入した。
NUMBER GIRLからのZAZEN BOYS、ゆらゆら帝国、SONIC YOUTH、The Strokes、Franz Ferdinand、THE RAPTURE、Mando Diao、、、
いつもフクシマくんがきっかけをくれて、教えてくれた。
そこから自分でも掘り下げて、数珠繋ぎのように世界の音楽を吸収していくようになった。
THE BENDSは立派なロックバンドだった。僕もエレキギターを弾いていた。
島田君に代わるドラマーとして、タロウも入って来た。
タロウもまたフクシマくんの高校の同期だった。
フクシマくんがある日、「ZUN-ZOKU」という曲を創ってきた。
今までやって来たフォークやロック、パンクを基調にした曲から離れた、アフリカの民族音楽のような雰囲気を持った曲だった。
僕はその曲が好きだったし、今後そういう方向に進んでいくことは良いじゃないかと思っていた。
しかし、その曲調には興味が涌かないというメンバーも居た。
方向性が割れてしまった。
そして、スタジオの空気も停滞気味になった。
フクシマくんは悩んでいた。
そんな風にして、今後どういう曲をやって行きたいかでなかなかバンドがまとまらなくなっていた時期のある日、
フクシマくんからの提案で、曲を一新して、バンドの名前も変えてしまって、同じメンバーでまた一から始めようという話になった。
そのころ、サポートメンバーとしてギターのコジマ君が入って来た。コジマ君は高校時代にフクシマくんがやっていた別の活動で出合った友達だった。
みんなで曲作りと録音を兼ねていつも集まっていたフクシマくんの家で、新しいバンド名の案を出し合った。
フクシマくんが考えてきた「OCTAVIO」に決まった。
アモーレス・ペロスという、闘犬を題材にしたメキシコ映画でガエル・ガルシア・ベルナルという俳優が演じた主人公「オクタビオ」が男らしくて、とってもかっこよかったからだ。
2007年、僕たちはまた新しいバンドとして、転がり始めた。それがOCTAVIOだった。
OCTAVIOは初め、フクシマくんがボーカル、僕がベース、モリモトくんがエレキギター、コジマ君がエレキギター、タロウがドラムという5人編成で始まった。
そのころはまた共通してRadioheadを良く聴いていて、初期のOCTAVIOは音楽的にもすごく影響を受けていたと思う。特にOK Computer、KID A、AmnesiacあたりのRadioheadの影響が濃かったと思う。
Sigur Ros、mum、Bjork、Mogwai、Tortoise、KYTE、MONO、、、
音響派だとか、ポストロックだとか呼ばれている音楽を知った。
また新しい世界が見えた。
そして、ボアダムスとの出会いは衝撃的だった。
2007年4月17日@難波Hatch
フクシマくんと観に行ったソニックユースの日本公演の共演が、ボアダムスだった。
円形に組んだ3台のドラムの真ん中にシンセとDJセットのような機材が一台。
エレキギターを組み合わせて作った奇妙なオブジェもある。しかも叩くと破壊音が鳴る。。
ライブは、衝撃という言葉では足りないくらい、革命的なパフォーマンスだった。
民族的で未来的、宇宙に連れていかれるかと思ったらその宇宙は実は自分の脳みその中にあって、外に向かっているようで実は内へ内へと潜っていっているようで、、、
腹の底をえぐられるようにして踊った。人間本来の、歓喜の姿。
それは、
とにかく最高だった。
ボーカル、ギター、ドラム、ベース、キーボード、、、
そういった編成ばかりが『バンド』ではない。
以降、頭の中で、どんどん新しい『バンド』の形を模索していくようになった。
初めはずっとフクシマくんの家で5人で集まって、曲を作ったりみんなで買った録音機材でデモCD-Rの録音をしていた。
交換ノートを作って、毎週メンバー間で回した。今作っている曲のイメージやイラストを書いたり、単なる日記だったり、最近聴いている音楽を紹介したり、、
OCTAVIOはそんな風にして、少しづつコミュニケーションを取り、バンドの形になっていった。
そのうち、モリモトくんのつてで東大阪の荒本という駅の近く、トラックターミナルや工場ばかりがある町の立派な写真スタジオを借りられるようになった。
写真の仕事で使っていない時間は好きにスタジオを使っていい、ということになった。
僕たちはその写真スタジオにそれぞれの楽器と録音機材を持ち込んだ。
自分たちの基地が出来た。
近くに住宅が無い地域だから、夜中でも好きなだけ大きな音が出せる。
お金もかからずに、長時間使える。
僕たちにとって、それは最高に自由な創作の環境だった。
毎週5人で集まって朝まで曲を作ったり、セッションをしたり、録音を続けた。
そして、出来上がったデモCD-Rを持って、大阪市内のライブハウスを回った。
やがて、いくつかのライブハウスから出演の話が来て、出演が決まった。
OCTAVIOというバンドは、まるで一葉の舟だったように思う。
そしてバンドメンバーはその舟に乗り合って、先の見えない大航海を一緒に続けた仲間だ。
僕たちは楽器を持って、大海原に舟を出した。そして、旅が始まった。
(続く)
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